ktszkのブログ

初心、発信、また発進

生きる力と安心とダークサイドと

父方の祖父がひと月ほど前に亡くなった。3ヶ月ほど前にアルツハイマー認知症と診断され、余命は長くても2年と聞いたところだったが、突然の出来事に家族の誰もが驚いた。ちょうど認知症患者が多く住まう病院に入院して3週間。午前6時過ぎに病院から掛かってきた電話を最初にとったのは偶然にも自分だったので、図らずしていの一番に祖父の急逝の報告を聞いたのも自分だった。亡くなった当日、午前5時の回診時にはよく眠っていたようだったが、1時間後に再度病室を訪れた際にはもう息をしていたなかったらしい。文字通り眠るように逝った。表情は穏やかだったという。病院側にとっても突然の事態に驚いていたようで、念のため事件性がないか調査するため警察に祖父の身柄を一旦預けてから諸々の段取りを進めることになった。亡くなった当日は祖父が転んで縫った傷口を抜糸する予定だったため、付き添いのために両親が大阪に行っていた。抜糸のために訪れるはずだった病院で出迎えたのはもう亡くなった祖父だった。父は夏休み中だったので、夏休みの半分は仕事関係の行事で終わり、もう半分は祖父の葬式で終わったようだった。いつも父の仕事の様子を気にかけていた祖父が気を利かせてタイミングを図ったのかもしれない。

 

正直ここ6年ほどは祖父には困らせられることばかりだったとはいえ、祖父方の親戚がそろって祖父との別れを惜しむ姿を見たときは、「じいちゃんよかったな」という気持ちと、「ほんまにあほやなぁ」という想いだった。兄弟の中では長男が戦争で早くに亡くなったかなんかで、次男だった祖父が生きてる中では一番威張っていたらしい。6人兄弟の中で唯一大学を出ていたということもあって、下の姉弟らは口出しできなかったとか。それが裏目に出たのか、祖母とひと悶着あってからは意地張って盆暮れの集まりにも顔を出さず、親戚との交流はほぼなかったようだ。この6年間はほぼひとりで暮らしていたので、妾らしい謎のばばぁがいたとはいえ、寂しかったことだろうと思う。

 

今だからわかることだが、祖父はきっと自分に自信がなかったんだろうと思う。認知症が入って記憶が曖昧になってからは、自分の経験ではないものも自分がしたこととしたり、権力者の名前を論っては自分とさも関係があるような口ぶりで自らの権威を示そうとしていた。何よりも体面を気にする性分だった。自らの弱さを隠すように、そこら中から鎧になりそうなものをとってきては貼り付けていた。所詮ハリボテはハリボテでしかなく、取り繕おうとすればするほど皮肉にも弱々しい生身の祖父が顕になるようだった。孫としては最後まで「誰かの」ではなく「自分の」生き様を見せて欲しかったなとちょっと思った。全てを知るわけではないのであまり強くはいえないけれど。

 

ちょっと話が逸れてしまうけれど、先日黒子のバスケ脅迫事件の被告が「『生きる力』とは根源的な『安心』だ」と言っていた。「安心」があれば人間は意志を持て、自分の意志があれば人間は前向きになれるという。自己肯定物語を持つために必要なものは「安心」ということなのだが、その「安心」は家庭環境に起因するとか。あたたかな家庭で親からの愛情を受けていることが重要。気にかけてくれるひとがいることで、ひとは「安心」を覚える。

【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない | かみぷろ

祖父の生いたちはよく知らないし、特段愛情のない家庭で育ったわけではないとは思うけれど、自己肯定というか、自己受容がうまくいかなかったのかなと思う。許せなかったのは自分なのか誰なのかはわからないけれど、きっと自分をいじめていたのだろうと思う。思うようにいかなかったことをもう一人の自分か嫁のせいにしていたのではないかな。自分を受け入れられていれば、きっと自分の在り方にもっと自信を持てていたんだろうと思う。

 

自分を受け入れるということを口で言うのは簡単だけれど、自分の中にもダークサイドは存在するので、目下の課題はダークサイドとどう付き合っていこうかというところ。仕事をしていると特に自分のダークサイドとも向き合わざるを得ないので、突き放すでもなく、なぶるでもなく、肩に腕を回して共に歩む術を早く身につけたいなと思う今日このごろ。

 

大家族は結構好きだなと思ったので、子孫がいれば死に際に胸張って言えるような生き方がしたい。

 

介護の話と思いきや

高齢化社会の例に漏れず、我が家のじじばばも80歳オーバーの大御所揃い。一昨年亡くなった大叔父も89歳。正直80歳オーバーになるともうみんな同じ。何があってもおかしくない。そしてこれくらいの年齢になるとやはり問題なのは介護。

 

父方の祖父は81歳。恐ろしいほど頑固で言葉の暴力も激しく、6年前に祖母が東京へ逃げてきたなんてことも。それ以来というものの、兵庫県の山の麓で一人暮らしていて、実は痴呆が進んでいる。ただでさえそんな性格だったから、痴呆のおかげでこりゃまたえらいことになっている。実は長年見え隠れする女性の影が...なんて三流昼ドラみたいなディープな話もあるんだからネタには困らない。とはいえそこは祖父である。父母や親戚が主だって色々と対応はしているものの、そこはやはり息子&孫とて見過ごせず。介護のお供に会ってきた。

 

痴呆というのは酷なもので、なんせ忘れていく。忘れていくだけでなく、現実と妄想や記憶の境界が曖昧なもんだからもう大変。息子が出た東大を自分が出たことになり、孫がした留学も自分が行ったことになっている。明らかに自筆で手書きのメモ書きと共に、これは元内閣総理大臣が書いた有名な言葉や!といいながら何度も同じ説明をする祖父。5ヶ国語話せるのは当然で(勿論本当は話せない)、社交ダンスでブイブイ言わせていたと自慢気に話す。お金は使わずにモノを手に入れることを美徳とし、何よりも肩書や権威が大好きなことが伺え、それは同時にコンプレックスの塊であることを如実に物語っており、自信の無さを表していた。かつて人は中身が伴っていることが大事だと説いていたことを思うと、真逆の現状に驚きを隠せない。

 

そして何よりも、孫のことはもう覚えていなかった。名前も顔も。応接間のピアノの上に並べられた息子家族の写真を見ても、それが息子家族だと見分けられず、孫が何人いるかももうわからない。息子である父のことも、身内だという認識は何とかありそうだったが名前はもう出てこない。食料を買ってきた母は近所の世話焼きなボランティアさんか。父母が用事を済ませている間、ずっと一人で祖父の相手をしていたけれど、話をしている間に突然口調が丁寧語になったりしているのを見ると、誰と話をしているのかもよくわかっていないようだった。つまるところ、祖父の目の前で相槌を打っていた自分は、祖父にとっては他人でしかなかったということ。他人といえば他人なのだが。

 

祖父という人の中では、孫は存在していても、けーたはもういなかった。

 

こちらとしては勿論これまでのことを覚えているわけなので、目の前の人間が自分のことを記憶していないということは、実に奇妙で、不思議な気持ちだった。相手が覚えていないと、存在しないことになる。自分という存在が消えてなくなった感覚がした。祖父との関係性の中に生きていた自分がなくなった瞬間だったし、関係性の中でしか自分は生きられないんだなと思わされたときだった。これは一度パーティーで会ったきりの人だったり、学生時代を共にした人であったり、仕事関係で知り合った人であってもきっと同じことで、相手(自分)が記憶していない限りその存在に意味はないのか。いまや一度しか会ったことのない人であっても、Facebookで繋がっていれば年に一度バースデーメッセージを送ることはできるから、広く薄い関係性を保つことは容易になったけれど、相手との関係性の中に自分がいるということに変わりはない。

 

たぶん自分も数えきれない人のことを忘れていると思う。そう思えば自分が忘れられること自体はなにも珍しいことではないはず。ただやっぱり身内となるとちょっと寂しいし、忘れられるということ自体普段あまり意識してなかったなと思う。古賀洋吉さんという方がブログの中で、(自分が)生まれた世界と、生まれなかった世界との差が生きていたということなんだと思うと書いていたのだけれど、その差が記憶なんだろうなと思う。

 

どうせ記憶に残るなら、いい記憶として残っていたいと思うし、その記憶の影響でその人が何か違うことの記憶にいい影響を与えられたとしたら、それって素敵なことだなあと。スマイルを生むことは無条件にハッピーだと思っているから尚更。これから何人の記憶の中で生きられるのか、と書くとちょっとSFチック?ともかく、ちょっとでもハッピーにしてくれた人のことはできるだけ覚えていたいし、そのことには感謝したいなと思う。

 

さて、誰に覚えていてほしいものやら。大叔父の形見に譲ってもらった立派な碁盤を綺麗にするために、久しぶりに恩師に連絡してみようか。

 

きよしこと恥ずかしい記憶

少し前に重松清の「きよしこ」という小説を読んだ。

 
吃音持ちだった著者自身の経験に基づくお話で、幼少期からの様々なエピソードが各章で語られている。吃音自体については正直はじめて知ることばかりだったけれど、体験エピソードなんかは共感するシーンもチラホラ。
 
本当に欲しかったものを親に言えなかったこととか。
本当は言いたかったことを友達に言えなかったこととか。
 
思えば、僕自身もちょっとした記憶って小さい頃ほど鮮明に覚えている。
 
ナーサリーでトイレに行きたいって言えなくてお漏らしを繰り返したこととか。兄にくっついて友達の家に遊びに行ったとき、兄たちが外で遊んでいる間にこっそり家に戻って、友達の親にゲームをやらせてくれって勇気を振り絞って聞いたこととか。日英ちゃんぽんなとんでも言語のやり取りでもなんとなく友達と遊べていたこととか。
 
三つ子の魂百までとはよく言うけれど、こういった経験は原体験として根深く残っていると思う。思えばこの頃から苦手だったことは、今でも多少苦手な部分がある。例えば、コミュニケーションに気を遣いたくなるのは、幼少期の日英ちゃんぽんコミュニケーション体験が影響しているんじゃないかというのが最近の仮説(自分の伝えたいことがちゃんと相手に伝わっているかもやもやしてた)。20年も前の話を引きずってんじゃねーよと思うが、遡ってみたらそれくらい前になることってひょっとして結構あるんじゃないか。
 
きよしこでは、主人公が大きくなるにつれて吃音を受け入れ乗り越えていく姿が描かれている。ひょっとしたら著者自身もこの小説を書きながら自己を受け入れていったのかも。自分の物事の判断基準とか、何かを決断する際の癖なんかを振り返るには幼少期の記憶はいい材料だと思う。何よりも、そうすることで自己を受け入れるプロセスと向き合えるから、自分いじめが得意な人には恥ずかしい記憶とにらめっこして「あほやったなぁ」と笑ってやれるといいね。自己嫌悪は自己愛の裏返し。
 
ちょうど恩師があるインタビューで「己の弱さを抱きしめられることが強さ」と言っていた。今なら初訪の営業先でだって図々しくもトイレを借りられる。「Toilette」と言えなかった自分に見せてやりたい。ちゃんとトイレ行きたいって言えてるぞと。
 
 

ことばの選択と伝え方

普段何気無く使っていることばには癖がある。

それは言葉の選択や使い方に表れる。

育ってきた環境や触れてきたモノ・コト・ヒトの影響を受ける。

ことばは思考そのものだから、考え方にも癖は出てくる。

そして、伝えたいことがあるときには、そのことに十分注意する必要がある。

学者が話すことばと、商人が話すことば、政治家が話すことばは当然変わってくる。

各々の世界で生き残る術であるかもしれないし、仲間であることを判断する材料であるかもしれない。

友人や家族、恋人に話すことばもきっと違う。

想いを伝え合うのに最適だと思うことばを文脈に当てはめていく。

ひとたびその選択を間違うと、ときにはよそ者と見做され、警戒をよぶことになる。

難しいことを難しそうに語られることを好む人もいれば、とにかく平易簡潔に例えられることを望む人もいる。

いま自分のいる場所が、これから語ろうと思っているところが、どういった場なのか。

伝えようと思っている相手がどんな人で、彼らが語ることばは何なのか。

それを知るためには、そこにいる人たちのことばに耳を傾けること。

ただ真摯に、ただ素直に。

よそ者であることに変わりはないかもしれないけれど、それならば一層、寄り添うように。

敬意を持って。


きっと僕の場合は、「都会から突然現れたIT系という若造」が語ることばの意味をもう少し考えるべきで、伝える相手が農家の夫婦なのか、メーカーの社長なのか、自治体のお姉さんなのか、銀行のおじさんなのか、社団法人の偉い人なのか、政治家なのかをもっと意識すべきなんだと思う。


生意気でどこか鼻につく、いけすかないやつにきっとなっていたんだろうな。

難しいことをわかりやすく伝えることも大切な能力だけれど、前提を理解して自分の立ち位置を把握しておくことがまず必要だったな、なんて振り返る今日この頃。

Heirloom Vegetable

ブルートマト。

青いとまと。

青い...とまと...?

こんな感じ↓

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真っ青、というよりは青黒いというか、青紫をもっと濃くしたような色。それはブルーベリーなどに含まれるアントシアニンという物質を多く含むからとか。紫外線の当たった部分が反応して青くなっていくのだそうだ。普通、トマトといえばあの赤いリコピンだけれど、このブルートマトにはリコピンだけでなくアントシアニンを含み、アントシアニンの抗酸化作用から健康機能性作物として注目を浴びているとな。甘さと酸味のバランスがよく、トマトらしい美味しさが味わえる。

 

うん。美味しい。

甘けりゃいいってもんではないということを美味しく味わえる。

そして美味しく健康になれるとは。いやはや。

しかし、青いトマトがこの世にあったのね。

初めて知ったときは驚きました。

 

実は、トマトと一口に言っても、世の中に数千種もあるらしい。

こんな形したトマトもある。

名前はゴリアス

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(出典:http://www.heirloom-tomato-farm.com/SHOP/zoomitem.php)

 

いかつい名前の通り、中々いかつい感じを出している。実はフランス留学中にマルシェでみたやつが、これだったんじゃないかと思っている。初めて見たときは、自分の知っているトマトじゃない...でも看板にLa Tomateて書いてあるこいつはナニモノ...? なんて思っていたんだけど、なるほど、こいつはトマトだったのね。と。

(参考:http://www.heirloom-tomato-farm.com/SHOP/tg0451.html)

 

こういったもののことをエアルーム品種というらしい。

いわゆる固定種というものだとか。

※但し、固定種の全てがエアルーム品種とは限らないとのこと。

(参考:http://www.heirloom-tomato-farm.com/hpgen/HPB/entries/11.html)

 

その土地その土地にあった品種を先祖代々守り育ててきたような、親から子へと固定した形質が受け継がれた品種のことをいうそう。日本では桃太郎が幅を利かせていて30品種ほどしか流通していないそうだけど、これだけ沢山の品種のトマトがあるのなら、全部食べてみたいものだね。(桃太郎流通の裏には、戦後の農地解放集約からの農協と種苗会社の役割分担などなど色々と関係しているらしい。詳しくはまた)。ちなみに余談ですが、日本で食されるトマトの75%は生食だけど、アメリカでは65%が調理して食べるのだそう。それだけでも、トマトって色んな可能性があるのかもしれないですね。

 

このエアルームトマトを広めるということが、もしかしたら日本の農業の生き残りに一役買うのではないか、という想いで取り組んでいるのが、冒頭のブルートマトを作っている石井さんという生産者さん。大規模化大量生産化とは間逆をいく手法なわけだけれど、その土地でしか作られずその土地でしか食べられない、だとか、あの人にしか作られずあの人が作るから美味い、とか、そういった価値が個性を生み多様性の中で輝くんじゃないかと(トマトの場合、品種よりも生産者の差異の方が出来に差が出るのだそう)。けーたにしか作られないトマトがあったとしたら、それってすごい個性よね。おまけに美味けりゃ売れるわね。

 

これってきっとトマトに限った話ではなくて、僕自身にも言えること。「ヒトと違う」ことに価値がある。皆違って当たり前。一人ひとり歩んできた道も違うんだから当たり前のことなんだけれど。エアルームトマトから自分のことに引き寄せて考えてしまうあたり、ブルートマトに羨望の念を抱いていたりなんかして。実は小さい頃はトマトが大の苦手だったんだけれど、まさかこんな念をトマトに抱くようになるとはね。自分も年をとったものだ。そんな自分は美味しく出来てるかしら。

 

自分について言えば、まだまだ熟すには早すぎる。むしろ年を重ねるごとに己の未熟度を思い知らされている。出来ないことより出来ることに目を向けたいのだけれど、それが中々難しい。正直自分が何色なのか、よくわからない。今の自分にとっては、隣のブルートマトがとっても青くみえる。せっかく先日またひとつ年を重ねたわけだから、周りに惑わされること無く、いま一度自分の色に磨きをかけて見極めていきたいと思う26歳成りたての秋です。

 

 

発信するということ

ただの日々の行動記録だったり、

思ったこと、感じたことの備忘録だったり。

伝えたいことだったり、

伝えることの訓練だったり。

話し合いたいことだったり、

特定の誰かに宛てたことだったり。

もしくは、自分に向けたものだったり。

 

書く内容自体で言えば、きっと色々あるわけだけど、

それには「自ら発信する」ということがまずあって。

自分の言葉で「自ら発信する」ということそのものに、

自分はどれだけ取り組んできただろうって。

何かにかこつけてやらずに済ませてきたのではないかって。

 

今日、友人と話をしていたら、こんなこと言われた。

「自分は話の中から99受け取ることがあっても、

逆に自分からは1ぐらいしか返せていないんじゃないかと思ってしまう」

僕自身99受け取ってると思っていても、それは相手には伝わっていないらしい。

 

 

受け取るばかりでも、送るばかりでも、

コミュニケーションは成り立たないわけだけど、

それならまず自分から発信してみることから、

始めてみたら?

 

という言葉を真に受けて。

これまでの四半世紀の足あとみながら、

この先を見るきっかけに、自ら発信すること、はじめました。

 

自らの名の下に、思い切ってさらけ出す。

 

しばらくはそんなことを頭の片隅に置きながら、

不定期に更新してみよう

なんていう、ちょっとした実験の

はじまり、はじまり。