ktszkのブログ

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介護の話と思いきや

高齢化社会の例に漏れず、我が家のじじばばも80歳オーバーの大御所揃い。一昨年亡くなった大叔父も89歳。正直80歳オーバーになるともうみんな同じ。何があってもおかしくない。そしてこれくらいの年齢になるとやはり問題なのは介護。

 

父方の祖父は81歳。恐ろしいほど頑固で言葉の暴力も激しく、6年前に祖母が東京へ逃げてきたなんてことも。それ以来というものの、兵庫県の山の麓で一人暮らしていて、実は痴呆が進んでいる。ただでさえそんな性格だったから、痴呆のおかげでこりゃまたえらいことになっている。実は長年見え隠れする女性の影が...なんて三流昼ドラみたいなディープな話もあるんだからネタには困らない。とはいえそこは祖父である。父母や親戚が主だって色々と対応はしているものの、そこはやはり息子&孫とて見過ごせず。介護のお供に会ってきた。

 

痴呆というのは酷なもので、なんせ忘れていく。忘れていくだけでなく、現実と妄想や記憶の境界が曖昧なもんだからもう大変。息子が出た東大を自分が出たことになり、孫がした留学も自分が行ったことになっている。明らかに自筆で手書きのメモ書きと共に、これは元内閣総理大臣が書いた有名な言葉や!といいながら何度も同じ説明をする祖父。5ヶ国語話せるのは当然で(勿論本当は話せない)、社交ダンスでブイブイ言わせていたと自慢気に話す。お金は使わずにモノを手に入れることを美徳とし、何よりも肩書や権威が大好きなことが伺え、それは同時にコンプレックスの塊であることを如実に物語っており、自信の無さを表していた。かつて人は中身が伴っていることが大事だと説いていたことを思うと、真逆の現状に驚きを隠せない。

 

そして何よりも、孫のことはもう覚えていなかった。名前も顔も。応接間のピアノの上に並べられた息子家族の写真を見ても、それが息子家族だと見分けられず、孫が何人いるかももうわからない。息子である父のことも、身内だという認識は何とかありそうだったが名前はもう出てこない。食料を買ってきた母は近所の世話焼きなボランティアさんか。父母が用事を済ませている間、ずっと一人で祖父の相手をしていたけれど、話をしている間に突然口調が丁寧語になったりしているのを見ると、誰と話をしているのかもよくわかっていないようだった。つまるところ、祖父の目の前で相槌を打っていた自分は、祖父にとっては他人でしかなかったということ。他人といえば他人なのだが。

 

祖父という人の中では、孫は存在していても、けーたはもういなかった。

 

こちらとしては勿論これまでのことを覚えているわけなので、目の前の人間が自分のことを記憶していないということは、実に奇妙で、不思議な気持ちだった。相手が覚えていないと、存在しないことになる。自分という存在が消えてなくなった感覚がした。祖父との関係性の中に生きていた自分がなくなった瞬間だったし、関係性の中でしか自分は生きられないんだなと思わされたときだった。これは一度パーティーで会ったきりの人だったり、学生時代を共にした人であったり、仕事関係で知り合った人であってもきっと同じことで、相手(自分)が記憶していない限りその存在に意味はないのか。いまや一度しか会ったことのない人であっても、Facebookで繋がっていれば年に一度バースデーメッセージを送ることはできるから、広く薄い関係性を保つことは容易になったけれど、相手との関係性の中に自分がいるということに変わりはない。

 

たぶん自分も数えきれない人のことを忘れていると思う。そう思えば自分が忘れられること自体はなにも珍しいことではないはず。ただやっぱり身内となるとちょっと寂しいし、忘れられるということ自体普段あまり意識してなかったなと思う。古賀洋吉さんという方がブログの中で、(自分が)生まれた世界と、生まれなかった世界との差が生きていたということなんだと思うと書いていたのだけれど、その差が記憶なんだろうなと思う。

 

どうせ記憶に残るなら、いい記憶として残っていたいと思うし、その記憶の影響でその人が何か違うことの記憶にいい影響を与えられたとしたら、それって素敵なことだなあと。スマイルを生むことは無条件にハッピーだと思っているから尚更。これから何人の記憶の中で生きられるのか、と書くとちょっとSFチック?ともかく、ちょっとでもハッピーにしてくれた人のことはできるだけ覚えていたいし、そのことには感謝したいなと思う。

 

さて、誰に覚えていてほしいものやら。大叔父の形見に譲ってもらった立派な碁盤を綺麗にするために、久しぶりに恩師に連絡してみようか。